この感覚の正体を、私は「直観」と呼んでいる。
そしてこの直観は、時に知能を超える存在の感知センサーとなる。
■ 直観とは「情報の外」にあるアンテナ
現代社会では、情報は過剰にあり、情報に触れない方が難しい状態だ。
あらゆるメディアが更新され、あらゆる分析がなされ、論理とデータで「正しさ」が語られる。
でも、本当に大事なのは、何が書かれているかではなく、なぜそう書かれているのかじゃないだろうか。
つまり、「情報」ではなく、「編集の意図」を読む力。ここに、直観が生きる余地がある。
子どもの頃、新聞や教科書の内容、順番、写真の選び方、使われる形容詞などに対して、
なんとなく違和感を持っていた。
それは、紙面の向こうにいる誰かの意図を感じ取っていたのかもしれない。
つまり、事実そのものではなく、「物語の組み立て」に対して不信感を抱くイメージだ。
(不信感といっても悪い意味でなく、自分の腹落ち感なのだが)
■ 違和感は、構造が歪んでいるサイン
経営でも社会でも、人間関係でも、うまくいかないときは必ず、どこかに構造の歪みがある。
でもそれは、数字にも議事録にも現れない。
先に現れるのは、もっと曖昧な違和感だ。なにかが違うような感覚
その違和感を無視して論理で押し切ると、ある日突然、システムが崩れる。人が離れる。組織が壊れる。
そう考えると、違和感を感じる力は、未来を先取りする力なのだろう。
そして、それを信じる勇気を持てる人だけが、
次の一手を「構造の外」から打つことができる気がする。
もちろん、直観は万能ではない。勘違いもあるし、空振りだってある。
でも私は、これまで何度もこの違和感に救われてきた気がする。
だからこそ、今もそれを「問い」として大切にしている。
問いと直観はペアで動くのか。
違和感があるということは、そこにまだ言語化されていない「問い」があるということ。
そして、その問いが生まれる瞬間、人は構造の外側に立って俯瞰できるのではないか。
やはり、そこにこそ、変化と進化の芽がありそうだ。
