【第2回】違和感が導く直観という武器
問い:「なぜ、私は小学生で新聞を疑ったのか?」

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 「なぜ、自分は小学生の頃から新聞を疑っていたのだろう?」
会ったこともない誰かの言葉を、活字を通じて信じるという行為に、なにか違和感があった。
その頃は、むしろおばあちゃんの言葉のほうが真実に思えた。
理屈ではなかった。説明もできなかった。
でも、「なぜかわかる」という感覚が、そこには確かにあった。

この感覚の正体を、私は「直観」と呼んでいる。
そしてこの直観は、時に
知能を超える存在の感知センサーとなる。

■ 直観とは「情報の外」にあるアンテナ

現代社会では、情報は過剰にあり、情報に触れない方が難しい状態だ。
あらゆるメディアが更新され、あらゆる分析がなされ、論理とデータで「正しさ」が語られる。

 

でも、本当に大事なのは、何が書かれているかではなく、なぜそう書かれているのかじゃないだろうか。
つまり、「情報」ではなく、「編集の意図」を読む力。ここに、直観が生きる余地がある。

 

子どもの頃、新聞や教科書の内容、順番、写真の選び方、使われる形容詞などに対して、
なんとなく違和感を持っていた。
それは、紙面の向こうにいる誰かの意図を感じ取っていたのかもしれない。
つまり、事実そのものではなく、「物語の組み立て」に対して不信感を抱くイメージだ。
(不信感といっても悪い意味でなく、自分の腹落ち感なのだが)

■ 違和感は、構造が歪んでいるサイン

経営でも社会でも、人間関係でも、うまくいかないときは必ず、どこかに構造の歪みがある。
でもそれは、数字にも議事録にも現れない。
先に現れるのは、もっと曖昧な違和感だ。なにかが違うような感覚
その違和感を無視して論理で押し切ると、ある日突然、システムが崩れる。人が離れる。組織が壊れる。

 

そう考えると、違和感を感じる力は、未来を先取りする力なのだろう。
そして、それを信じる勇気を持てる人だけが、
次の一手を「構造の外」から打つことができる気がする。

 

もちろん、直観は万能ではない。勘違いもあるし、空振りだってある。
でも私は、これまで何度もこの違和感に救われてきた気がする。
だからこそ、今もそれを「問い」として大切にしている。

 

問いと直観はペアで動くのか。
違和感があるということは、そこにまだ言語化されていない「問い」があるということ。
そして、その問いが生まれる瞬間、人は構造の外側に立って俯瞰できるのではないか。
やはり、そこにこそ、変化と進化の芽がありそうだ。

一言まとめ

「なぜかわかる」は、構造の外から届く未来のサイン。
それを信じる勇気が、新しい一手を生む。

 

オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司

 

 

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