車が走り、電車が走り、人も物も行き交う。
今では当たり前の景色になっているけれど、昔は海だった。
渡りたければ船に乗るしかなかった。
そう考えると、この橋を最初に考えた人たちは、なかなか変わっている。
海を見ながら、ここに橋を架けようと思ったのだから。
先日、橋を渡りながら、ふと思った。
AIは、この発想をするだろうか。
もちろん、橋の設計はできる。
構造計算もできる。
最適な材料も選べるだろう。
でも、ここに橋が必要だという最初の想像は難しい気がした。
なぜなら、AIは困っていないからだ。
向こう岸へ行けなくて不便だ。
もっと早く行きたい。
もっと多くの人をつなげたい。
そんな不満や欲求を持たない。
人間は不思議な生き物で、足りないものを見つける。不便を発見する。
そして、「だったらこうしたらいいんじゃないか」と考える。
想像の始まりは、いつも不便の発見なのかもしれない。
だから、人間にとって大切なのは知識ではなく、
何が足りないかを感じる力ではないかだと思う。
そして、その先に創造がある。
橋もそうだったのだろう。
ただ、ここで一つ面白いことがある。
橋が完成すると、人は橋を渡ることに慣れてしまう。
そして、なぜ橋が必要だったのかを忘れる。
便利になるほど、目的を忘れる。
これは仕事でも同じだ。
会議をすることが目的になる。
資料を作ることが目的になる。
AIを使うことが目的になる。
本来は違う。
会議も資料もAIも、全部手段だ。
目的ではない。
橋を架けた人たちの目的も、橋を作ることではなかったはずだ。
人をつなぐことだったのかもしれない。
地域を発展させることだったのかもしれない。
物流を変えることだったのかもしれない。
いずれにしても、橋そのものではない。
向こう側にあった。
だから、AIが当たり前になる時代ほど、忘れてはいけないことがあると思う。
目的から考えることだ。
目的があって手段がある。
手段があって目的があるのではない。
手段→手段→手段 になった瞬間、
人はどこへ向かっているのかわからなくなる。
瀬戸大橋を渡りながら、そんなことを考えた。
橋は海の上に架かっている。
でも本当に架けるべき橋は、目的と手段の間にあるのかもしれない。
AIに仕事を奪われると恐れているけど、実は、自分で大事な何かを手放そうとしていないかい?
人間らしさって、橋を架けることではなく、
どこへ行きたいのかを考え続けることなのかもしれない。
目的は、いつも向こう岸にあるのかもしれない。
AIの時代だからこそ、向こう岸を決める仕事だけは人間に残されている気がした。
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司
