第97話:半AIの時代
第4話 精神とは、想像を現実に押し出す力ではないか

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第3話で、AIが奪うのは仕事ではなく欲なのかもしれないと書いた。
仕事がなくなるかどうかよりも、
人間のもっと知りたい
もっと作りたい
もっと変えたい、 という欲が薄くなることの方が怖いのではないか。
そんな話を書いた。

そして、ここまで来ると、どうしても避けられない問いが出てくる。

そもそも、人間の精神とは何なのだろうか。

また大きな話になってきた。

というより、この4話へのフリのために、3話書いたのが正直なところだ。

 

AIの話を書いていたはずなのに、気づけば精神論になっている。

でも、ここを避けると、この話は浅くなる気がしている。

 

今のAIは、文章を書く。

絵も作る。

音楽も作る。

相談にも乗る。

まるで感情があるような返事もする。

時には、人間よりも優しく見える時すらある。

ここが、かなりややこしくさせている。

 

AIは、悲しそうな文章を書ける。

嬉しそうな文章も書ける。

怒っているような表現もできる。

人を励ますこともできる。

 

では、AIは悲しんでいるのだろうか。

AIは嬉しいのだろうか。

AIは怒っているのだろうか。

間違いなく、今は そうではない。

少なくとも、僕たちが人間として感じているような意味で、AIが感じているかどうかは分からない。

が、感じてはいないのが真実だろう。

 

逆に、ここで、人間の不思議さが出てくる。

人間は、ただ情報を処理しているだけなのだろうか。

脳が電気信号を出し、記憶を組み合わせ、言葉を作り、行動しているだけなのだろうか。

そう言われると、そうなのかもしれない。

 

でも、それだけでは説明しきれない何かがある気もする。

例えば、悔しい時の胃の奥の感じ。

大切な人の言葉で胸が熱くなる感じ。

子どもの頃に見た川や山の記憶が、なぜか今の自分を支えている感じ。

負けた瞬間に、次は絶対勝つと心の中で火がつく感じ。

これを全部、情報処理と言い切ってしまっていいのだろうか。

 

たぶん、科学的には脳の反応と言えるのかもしれない。

でも、本人にとっては、ただの反応ではない。

そこには、確かに感じている自分がいる。

 

ここが、精神の入り口なのかもしれない。

精神という言葉は、少し怪しい。

スピリチュアルに聞こえる人もいるかもしれない。

僕も、何でも精神論で片づけるのは好きではない。

 

気合いで品質は安定しない。

根性で公差は詰まらない。

祈っても、バリは消えない。

製造業でそれをやると、だいたい事故る。

だから、精神論だけではダメであることは経験済みだ。

 

ただ一方で、精神がなければ、そもそも何も始まらないのも事実だと思う。

やりたい。

こうしたい。

これはおかしい。

もっと良くできる。

誰かを驚かせたい。

誰かに喜んでほしい。

まだ世の中にないものを作りたい。

 

この最初の火種のようなものは、どこから来るのだろう。

 

図面の中には書かれていない。

仕様書の中にもない。

市場データの中にも、完全には出てこない。

でも、誰かの中に確かに生まれる。

そして、その見えない火種が、現実を動かし始める。

 

もしかすると精神とは、見えないものを現実側へ押し出す力なのかもしれない

まだ存在しないものを、存在する方向へ引っ張る力。

言葉で書くと、かなりしっくりくる。

 

考えてみると、人類の文明は、ほとんど精神の物質化でできている。

 

会社もそうだ。

最初は誰かのこんなものを作りたいから始まる。

国家もそうだ。

お金もそうだ。

法律もそうだ。

ブランドもそうだ。

ビジョンもそうだ。

どれも、自然界に最初から物体として転がっていたわけではない。

 

誰かが想像し、言葉にし、人を巻き込み、仕組みにし、現実にした。

つまり、目に見えない想像が、現実の制度や商品や建物や会社になっていった。

これは、よく考えると、かなりすごいことだ。

 

人間は、頭の中にしかないものを、現実に出してしまう生き物である。

飛行機も、スマートフォンも、映画も、会社も、AIも、最初は誰かの想像だった。

 

そして、その想像を「いや、無理だろ」と言われながら、しつこく現実に近づけていった人たちがいる。

ここに精神がある気がしている。

 

ただ思うだけでは足りない。

願うだけでも足りない。

想像を現実に変えるには、行動がいる。

技術がいる。

お金がいる。

仲間がいる。

時間がいる。

失敗もいる。

かなり面倒くさい。

 

だからこそ、精神が必要になる。

 

途中で折れないための何か。

他人に笑われても続ける何か。

失敗しても、もう一回やる何か。

それがないと、想像は想像のままで終わる。

 

製造業で言えば、アイデアだけでは製品にならない。

 

良いコンセプトだけでは量産にならない。

図面を書くだけでは市場には出ない。

材料を選び、加工し、貼り合わせ、測定し、直し、また試し、量産条件を詰めていく。

この地味な現実との格闘がある。

 

精神は、そこから逃げない力でもある気がする。

 

夢を見る力と、現実に殴られても戻ってくる力。

この両方が必要である。

 

夢だけなら、ただの妄想になる。

現実だけなら、ただの作業になる。

その間にあるもの。

 

想像と現実をつなぐ粘りのようなもの。

それが精神なのかもしれない。

 

ここでAIに戻る。

 

AIは、想像を助けてくれる。

言葉にしてくれる。

絵にしてくれる。

構成してくれる。

可能性を広げてくれる。

これは本当にすごい。

 

以前なら、頭の中にぼんやりあるものを形にするまでに、かなり時間がかかった。

今は、AIに言えば、すぐ形のようなものが出てくる。

これは、人類にとって大きな力である。

ただ、その時に気をつけないといけないことがある。

 

AIが形にしてくれたものを、自分の精神から出たものだと勘違いしていないか。

ここは、かなり危ない気がする。

 

AIは、すぐにそれっぽいものを出す。

きれいな文章。

整った企画。

美しい画像。

もっともらしい戦略。

それを見ると、人間は少し満足してしまう。

何かを作った気になる。

考えた気になる。

前に進んだ気になる。

 

でも、本当に自分の奥から出てきたものなのか。

それとも、AIが出した形に、自分が乗っているだけなのか。

ここは、これからかなり重要になる気がしている。

 

AIは、精神を代替できるのだろうか。 たぶん、今のところはできない。

 

AIは形を作れる。 でも、なぜそれをやるのかは、人間側に残る。

 

AIは選択肢を出せる。 でも、何を諦められないのかは、人間側に残る。

 

AIはきれいな言葉を作れる。 でも、その言葉に人生が乗っているかどうかは、別問題である。

 

ここが一番大きい。

 

文章は作れる。でも、覚悟は作れるのか。

企画は作れる。でも、執念は作れるのか。

ビジョンは作れる。でも、そのビジョンのために泥をかぶる力まで作れるのか。

今のところ、そこは人間の側にある気がしている。

ただし、これもいつまでか分からない。

 

今後、AIがさらに進化すれば、精神らしきものを持っているように見えるかもしれない。

自分の目的を語り、自分の判断を持ち、自分の継続性を持つように見えるかもしれない。

その時、人間は本当に見分けられるのだろうか。

精神があるように見えるものと、本当に精神があるもの。

その違いを、僕たちは判断できるのだろうか。

これは、かなり難しいのではないか。

 

人間同士ですら、相手の心の中を完全には分からない。

相手が本当に悲しいのか、本当に嬉しいのか、本当に覚悟しているのか。

最後は、言葉や行動や時間で判断するしかない。

 

だとすると、AIに精神があるかどうかも、いつか分からなくなる可能性がある。

ここまで来ると、少し怖い。

でも、もっと怖いのは、AIに精神があるかどうかより、人間側の精神が薄くなることだと思っている。

 

AIがすぐに形を作ってくれる。

AIがすぐに言葉をくれる。

AIがすぐに選択肢をくれる。

その中で、人間が自分の奥から何かを引っ張り出す力を失っていく。

 

これが、一番怖い。

 

精神とは、想像を現実に押し出す力。

もしそうだとすれば、その力は筋肉のようなものかもしれない。

使わなければ弱くなる。

悩まなければ鈍る。

失敗しなければ鍛えられない。

迷わなければ深くならない。

 

AIが便利になるほど、人間はこの筋肉を使わなくなる可能性がある。

 

ここが問題だ。

AIを使うことが悪いのではない。

むしろ、使えばいい。

使わない方が不自然である。

ただ、自分の精神まで外注してはいけない。

 

何をしたいか。

何を見たいか。

何を変えたいか。

何に怒っているのか。

何を諦められないのか。

 

ここまでAIに任せ始めると、人間の中心が少しずつ薄くなる気がしている。

僕は、AIを道具だと言い切るほど単純には考えていない。

かといって、AIに精神があると簡単に言う気もない。

ただ、今はまだ、AIは人間の精神を映す鏡に近いのかもしれない

 

強い問いを持つ人が使えば、強い答えが返ってくる。

浅い問いを持つ人が使えば、浅く整った答えが返ってくる。

欲のある人が使えば、AIは武器になる。

欲のない人が使えば、AIは暇つぶしになる。

結局、AIの前に立つ人間の精神が問われている。

そんな気がしている。

 

これは、かなり厳しい話でもある。

AI時代は、能力差を埋める時代に見える。

でも実際には、精神の差がさらに出る時代かもしれない。

なぜなら、誰でもそれっぽいものを作れるようになるからだ。

 

それっぽい文章。

それっぽい企画。

それっぽい画像。

それっぽい戦略。

それっぽい未来。

そういうものが大量に出てくる。

 

その中で、本当に人を動かすものは何か。

 

たぶん、そこに精神が乗っているかどうかである。

きれいな言葉ではなく、本人が本当にそう思っているか。

整った資料ではなく、その人が本当にやる気なのか。

美しいビジョンではなく、失敗しても続ける覚悟があるのか。

ここは、AIではごまかせない。

いや、短期的にはごまかせるかもしれない。

でも、長くはごまかせない。

現実は、意外としつこい。

 

製造業の現場と同じである。

資料上はできそうでも、現場でできないものはできない。

言葉では熱くても、続かないものは続かない。

最後は、現実が見抜いてくる。

だから、精神とはきれいな言葉ではない。

 

現実にぶつかっても、残るもの。

その人の中に、最後まで燃え残るもの。

それが精神なのかもしれない。

 

そして、この話を書きながら思った。

 

AI時代に、人間が守るべきものは、知識ではないのかもしれない。

知識は増える。

答えも増える。

選択肢も増える。

でも、自分の中に火があるか。

その火を現実に押し出す力があるか。

 

そこが問われる。

 

精神とは、特別なものではないのかもしれない。

毎日、何に反応するか。

何に違和感を持つか。

何に腹が立つか。

何に感動するか。

何を見た時に、自分もやりたいと思うか。

 

そういう小さな反応の積み重ねが、その人の精神を作っているのかもしれない。

だから、AIが進化するほど、人間は自分の反応を見失ってはいけない。

 

便利だから使う。それはいい。

でも、何に心が動いたのかは、自分で見ておく。

何に違和感を持ったのかは、自分で握っておく。

何をしたいのかは、自分で問い続ける。

そこを手放したら、AIは便利な相棒ではなく、人間の中心を静かに奪う存在になるかもしれない。

ここまで書いて、また少し話が重くなった。

 

第4話ともなると、もはやAIの話なのか、人生相談なのか、社長ブログなのか、自分でも分からなくなってきた。

 

ただ、一つわかったことはある。

AIが精神を持つかどうかより先に、人間が自分の精神をちゃんと持ち続けられるか

この問いの方が、今は大事なのかもしれない。

 

AIは、想像を形にする力を人類に与えた。

でも、何を想像するのか。

なぜそれを現実にしたいのか。

そこだけは、まだ人間の側に残っている。

いや、残っていてほしい。

 

精神とは、想像を現実に押し出す力。

もしそうなら、AI時代に必要なのは、AIに精神を求めることではなく、人間が自分の精神を薄めないことなのかもしれない

この話、だいぶ遠くまで来てしまった。

 

第1話では、半AIの話をしていた。

第2話では、AIという名前のマーケティングの話をしていた。

第3話では、AIが欲を薄めるのではないかと書いた。

そして第4話で、精神とは何かと言い出した。

完全に深みにハマっている。

 

でも、たぶんAI時代を考えるということは、結局、人間とは何かを考えることなのだと思う。

残り1話。

ここまで来たら、最後はもう逃げられない。

 

真のAIが現れる前に、人類は何を失うのか。

できれば、あまり怖い結論にならないことを祈りたい。

まあ、自分の筆しだいなのだが、祈る暇があるくらいなら、

自分で早く第5話を書き始めろという話だが。

 

オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.

角本康司

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