東京での暮らしは、「毎朝の満員電車」「人混み」「リスクの責任回避という風土」が大嫌いだった。
同僚、顧客、仕入先様のおかげで続けてはいたが、それを変えられない自分にも、それ以上に嫌気がさしていた。
だからこそ、何かにチャレンジしたかった。
そんな年末の帰省中、ラジオからふと流れてきた、ある歌に背中を押された。
某歌手の「ルーズリーフ」という曲。
「何度でもやり直していいんだ。」「自分が主人公なんだ」
その一節を聞いたとき、なぜか涙が出そうになった。
あの瞬間、何かがストンと落ちた。
「いつから失敗を恐れるようになったのだろう」「僕も責任回避してるかも」「やりたいことをやりたいって声を出せていないや」と。
「辞めよう。新しいスタートを切ろう。」
今思えば、ずっと何かの「きっかけ」を待っていたんだと思う。
あの歌がなかったら、たぶん僕は、辞めていなかった。
じゃあ、何をやるのか。自分に問いかけてみたときに、
心の奥から浮かんできたのは――
「土を触りたい。」
その後、調べていくうちに、
世界で一番多く作られている果物は「ぶどう」という事実に出会った。
「あれ? それって、チャンスなんじゃないか?」
工業的な視点を持ち込めば、もっと効率的に作れるかもしれない。
地元・岡山にもぴったりだし、親戚がぶどう園をやっている。
「教えてもらえばいい。」
そして、「世界で一番作られているものを、自分が作れないわけがない。」
そんな、いつもの「変な自信」が湧いてきた。
構想はすぐに膨らんだ。
体験型のぶどう園をつくって、
ピザ窯を使ったレストランも併設。
東京の知人たちに地元野菜を届ける定期便もつくろう。
ブランド名は「べじたわわ」。
食品衛生管理責任者の資格も取得したし、農学部の文献も読み漁った。
「やるなら、徹底的にやろう。」 そう思っていた。
辞めるときも、僕なりに誠意を尽くした。
「退職日は、1〜6カ月の中で、会社に決めていただいて構いません。」
そう伝え、結果的に5カ月かけて引き継ぎを行った。
顧客や仕入先にも迷惑をかけずに済んだと思う。
ありがたいことに、5社ほどから「うちに来ないか?」と声をかけてもらったけれど、すべてお断りした。
実は、家族に「辞める」と伝えたのは、かなり直前だった。
そして、いざ東京を離れるその日――
近所の公園に、見送りの人がものすごく集まってくれていた。
「やっぱり間違ってたんじゃないか…?」
正直、怖くなった。
その不安を振り払うように、
東京から岡山への車の中で流していたのは、
またあの某歌手の曲、「大丈夫」。
「まあ、僕が大丈夫だって言えば、大丈夫だ。」
家族にそう言いながら、
自分自身に言い聞かせていた。
「自分の手で、食と暮らしをつくっていくんだ。」
そんな熱を胸に、岡山での生活が始まるはずだった。。。
ミクロな技術で、ワクワクしながら、
今日もマクロな感動を届けに行きましょう。
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司