生成AIの進化は、これまでの技術革新とは桁違いのスピードで進行している。
ChatGPTやMidjourney、Soraなど、ここ1〜2年で登場したツールを使った経験がある人も多いだろう。特にビジネス現場では、「一部の業務がAIに置き換えられた」どころか、「AIを使う人間が、使わない人間を一気に引き離す」現象すら起きている。
企業の生産性は飛躍的に高まり、個人のアイデアや作業スピードもかつてないほど強化されている。
まるで、人間が「突然スーパーサイヤ人」になったような状況だ。しかし、それと同時に「置いていかれる不安」や「自分の仕事が不要になる恐怖」を抱く人も増えてきた。
この心理的な揺れの背景には、時代の問いが「How(どうやるか)」から「What(何をやるか)」へと急激にシフトしていることがある。
従来であれば「何かをどうやるか?」が競争力だったのに、今は「何をするべきか? そして、それは人間がやる意味があるのか?」という問いが、私たちの目の前に突如として現れている。
さらに厄介なのは、その「What」でさえも、明日には古くなるスピード感だ。
たった1ヶ月前に「これが正解」と思っていた手法やサービスが、翌月には別のAIツールに凌駕されているという現象が、すでに業界のあちこちで起きている。
この流れは単なる技術革新ではない。
私たちの「意思決定の方法」や「創造の意味」そのものを問い直す時代の始まりである。
これまでは、「考えること」「創ること」が人間らしさの象徴だった。
しかし今、AIが大量のデータを学習し、瞬時にアイデアを出し、プレゼン資料まで整えてくれる世界において、「人間の思考」とは何を意味するのか?という根源的な疑問が生まれている。
一方で、AIが生成したコンテンツは非常に「似ている」ものが多い。
コストをかけずに均一な品質を大量生産できる反面、「個性」や「魂」といった曖昧なものは、まだ人間の役割として残っている。だが、それも「いつまでか」はわからない。
事業の観点でも、AIが生み出したアウトプットを誰でも真似できるようになれば、差別化は一瞬で崩れ、今日の競争優位が、明日には消えるという可能性もある。
そんな時代に、日本はどうすべきか。
幸いにも、日本には「日本語」という高い参入障壁と、「商習慣」「関係構築文化」など、即座に模倣されにくい要素がある。
「深い人間関係性」や「信頼」といった目に見えない価値の再評価が、世界のAI化の波の中で浮き彫りになりつつある。
だからこそ、今、日本人にはチャンスがある。
ただAIを受け入れるだけではなく、日本独自の価値観や感性をもって、AIを「共創のパートナー」として活かす方法を模索する。
そこにこそ、「AI時代における人間の役割」のヒントがあるのではないだろうか。
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司