人は、論理より先に空気を受け取ります。
この人は前に進んでいるのか。迷っているのか。止まっているのか。
それが言葉より先に伝わる。
そして、私はいつも未来の話をする→どうすればできるかを考える→決める。
それを普通にやっていると、受取手側で考える状態だったのが、決めるフェーズに移行し、
偶々そのきっかけになったので、元気をもらえたと言われるのだと思います。
そして、考えている時は現在や過去を行き来してるので、未来の話をして想像すると心が軽くなる。
「これ、こうしたらいけるんじゃない?」とか、
「将来、車はNYでは自動販売機で販売されるぞ」とか馬鹿な空想話を言ってるので、
この一言で、現実→未来に空気が変わることがある。
元気をもらえたの正体は、きっとこれです。
ただ、ここからが本題です。前振り長くてすみません。
この現象、関係性によってまったく違って見えます。これが動揺の原因です。
発信者は同じ角本なのですが、関係性で角本本人が戸惑うぐらい違います。
社外:なぜか全部覚えている
社外の人は、驚くほどよく覚えています。
「あの時、ああ言ってましたよね」
「その一言で考え方が変わりました」
正直、こちらが忘れていることまで覚えている。
10年近く前に言ったことも言われたりするので、こちらがビックリします。
(当時の手帳に全部メモしてますので、内容は忘れてません)
これはなぜか。
社外はフラットな関係です。
責任もないし、過去の文脈も少ない。
だから言葉が「刺激」「ヒント」「きっかけ」として純粋に入る。
結果、印象に残るのだと思います。純粋、素直っていう状態ですかね。
社内:なぜか聞いてないことになる
一方で社内。
「それ前に言いましたよね?」と言うと、
「聞いてないです」と返ってくることがあります。
これはもう、あるあるです。
社内は「評価関係がある」 「現実を知りすぎている」 「自分ごとになる」。
だから同じ言葉でも指示や負担として処理されやすい。
そして人は、負担がかかる話ほど無意識にスルーする。
結果、聞いていないことになる。
そして、私も逆の立場の時、同様のことがあります。
現実的に考えすぎてしまい、しんどいと思ってしまうんですよね。
(議事録とかみて。。あー、忘れてた、やらなきゃって感じです)
家族:そもそもその場にいた?
そして、最も強烈なのが家族です。
「この前こういう話したよね?」と言うと、
「え?その時いた?」と言われることがあります。
もう笑うしかありません。
でもこれも理由は明確です。
家族は「評価がない」「役割もない」「距離が一番近い」
だから何が起きるか。
言葉ではなく「存在」で受け取る。
つまり、何を言ったかよりも、「ちゃんと帰ってきているか」「元気でいるか」
そちらの方が重要になる。未だに実家に帰ると何回も同じ話をされるのも、裏にはこれがあるのかな。
だから、未来の話も、戦略の話も、家族にとっては刺激でも責任でもなく、本人の「安心」に変換されているのだと思います。
親しい友人の時も、そんな感じです。
まとめると、
同じ人間、同じ言葉でも
社外 → 刺激(だから覚えている)
社内 → 責任(だからスルーされることもある)
家族 → 安心(だからそもそも覚えていない)
この違いは、能力の問題ではなく関係性の違いです。
これを理解しておくと納得感があります。ですが、私も人間なので、都度困惑が生じますし、このまとめに、50年かかりました。
でも、本質は一つ、せっかく生まれてきたからには、前に進めるかどうかです。
社外では心に火をつける。
社内では心を燃やす
家族では帰ってこられる場所(安心)である。
この3つが揃って、人は長く前に進めるのだと思います。
そして今日もどこかで、誰かの前進スイッチが入っていたら嬉しいです。
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司
