第88話:「失われた30年」と言われたくないです

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「失われた30年」
この言葉を聞くたびに、正直、違和感がある。
というより、はっきり言うと、私は、その30年を失っていない。

むしろその間、ずっと成長を目指してやってきた。

 

新商品を開発し、ゼロから売上を作り、意思決定を積み重ねてきた。

うまくいったこともあれば、失敗もあった。

でも少なくとも、失っていた時間なんて一瞬もない。

 

だからこそ思う。

誰かにまとめて、「日本は失われた30年でしたね」と一括りにされることに、強い違和感がある。

 

この言葉は便利だと思う。

政治にとっても、マスコミにとっても、そして人によっては、自分の停滞を説明するためにも。

 

でも、その便利さの裏で起きていることがある。

一人ひとりの30年が、雑に無かったことにされている。

これは、少し乱暴すぎる。

 

少なくとも、私の周りには、

挑戦してきた人がいる。

現場で汗をかいてきた人がいる。

技術を磨き続けてきた人がいる。

その積み重ねがあって、今の日本がある。

それを「失われた」で片付けるのは、ちょっと失礼じゃないか、とすら思う。

 

そして、そもそもこの言葉自体にも引っかかる。

この言葉、実は誰が言い始めたかもはっきりしない。

気づいたら「10年」が「20年」になり、「30年」になっていた。

誰かの強い意志で定義されたわけでもなく、

いつの間にか、当たり前のように使われている。

 

もちろん、マクロで見れば、成長が鈍化したのは事実だ。

でも、それを理由に「だから仕方なかった」とするのか、

「じゃあ、何を間違えたのか」と考えるのか。

ここには大きな差がある。

 

会社経営で考えれば分かりやすい。

売上が横ばいだった10年を、

「失われた10年でした」とは言わない。

戦略を見直すし、意思決定を振り返るし、次に何を取りにいくかを考える。

それが普通だ。

 

だから私は、「失われた30年」という言葉をそのまま受け入れるつもりはない。

これは失われた時間じゃない。

それぞれが、それぞれに戦ってきた30年だ。

 

そして、どうしても引っかかることがある。

「失われた30年」と言われるたびに、私はこう思う。

これは誰の言い訳なんだろうか。

 

そう考えた瞬間に、見える景色が変わる。

過去の評価ではなく、これからの意思決定の話になる。

 

過去をどう呼ぶかは、未来をどう作るかと、ほぼ同義だ。

私はこの30年を、選び、挑み続けた30年として捉えたい。

 

そして次の30年も、誰かに言葉で定義されるのではなく、

自分たちの意思で、取りにいく。

 

そうやって、仕事をして、生きていく。

そのほうが、一番おもしろいから。

 

オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.

角本康司

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