最近、AIという言葉を聞かない日がなくなった。
AIが仕事を奪う。
AIが人類を超える。
AIが世界を変える。
そんな話が、居酒屋でも経営会議でも普通に出る時代になった。
確かに、今のAIはすごい。
文章を書く。
翻訳する。
画像を作る。
相談に乗る。
アイデアを出す。
数年前なら、未来だなと思っていたことを、普通にやってくる。
ただね、今のAIって、本当に「AI」なのだろうか。
もっと言えば、 今のこれは、 真の人工知能なのだろうか。
僕には、まだ「半AI」くらいに見えている。
そう半AIなのだ。
ちょっと変な表現だけど、妙にしっくりくる。
なぜなら、今のAIは、まだ自分で目的を持っていない。
何を聞くかは人間。
何を作るかも人間。
どの答えを採用するかも人間。
最後に責任を取るのも人間。
AIは、ものすごい速度で答えを返してくる。
でも、その前には必ず、
人間の「問い」がある。
つまり今のAIは、 完全な知能というより、
人間の思考を超高速で増幅する装置に近い。
だから僕は、 今のAIを半AIと呼びたくなる。
AIにとっても、寿司屋で例えるとまだ見習いレベルなのに、
人間から大将!って呼ばれて困惑しているだろう。
ただ、ここで面白いのは、
歴史的に市場を取るのは、
完成品ではないことだ。
未完成だけど、使えるものが市場を取る。
昔のスマホもそうだった。
今見ると、
バッテリー弱い、
回線遅い、
アプリ少ない。
でも、社会は一気に変わった。
インターネットもそう。
最初は遅いし、危ないし、怪しい世界だった。
でも、人類は未完成のまま使い始めた。
そして、
使い始めたことで、
社会の方が変わっていった。
僕はこれ、
製造業でも全く同じだと思っている。
技術って、完成してから広がるわけじゃない。
工程成立 した瞬間に市場へ入る。
そして市場で揉まれながら、
量産化され、
改善され、
本物になっていく。
今のAIも、まさにその状態に見える。
まだ未完成。
でも、市場成立した。
だから恐ろしい速度で広がっている。
ここで、もう一つ思うことがある。
もしかすると、
AIという言葉そのものが、
巨大なマーケティングなのではないか。
本当は、まだ完全な人工知能ではない。
でも、AIという名前が付いた瞬間、
人類は未来を感じる。
投資が集まる。
人が集まる。
市場ができる。
つまり今のAIは、
真の知能というより、
もしかすると今のAIは、本当の人工知能というより、
人類が「便利だ」「すごい」「未来だ」と感じやすい形に整えられているのかもしれない。
人類は、
理解できないものを怖がる。
これは人類が生き抜いてきたDNAによる。
だからAIは、
会話し、
笑い、
共感し、
人間っぽく振る舞う。
そして数あるAIから選んでもらえるように忖度してくるのだと思う。
でも、
もし本当に超知能が生まれたとして、
そもそも人間語で会話する必要があるのだろうか。
ここは結構面白い問いだと思う。
ただ、僕が本当に気になっているのは、
AIが人類を支配するかどうかではない。
もっと静かで、
もっと現実的で、
もっと怖い話だ。
AIが便利すぎることで、
人間側の欲や問いが薄くなること。
考えなくても答えが出る。
悩まなくても文章が書ける。
整理しなくても要約される。
すると人間は、
少しずつ、
考え抜くという行為を手放し始める。
もちろん便利だ。
めちゃくちゃ便利だ。
僕もほぼ毎日使っている。
でも同時に、
人間の脳みそって、
本来は、
苦しみながら、
迷いながら、
問い続けることで、
変な進化をしてきた生き物でもある。
不足。
不安。
悔しさ。
孤独。
承認欲求。
そういう、
めんどくさい感情が、
発明や創造を生んできた。
もしAIが、
そこまで埋め始めたら、
人類はどうなるのだろう。
便利になった結果、
逆に無欲化していく可能性はないのだろうか。
最近、そんなことを結構真面目に考えている。
AIは、まだ半AIなのかもしれない。
でも、人類の方は、
すでに半分AI前提の生き方へ入っている気もする。
そして、
ここが本当に重要なのだけど、
真のAIが来ることより先に、
AI無しでは成立しない社会の方が完成する気がしている。
だから今起きているのは、
AIの進化だけではない。
人類側の変化でもある。
僕たちはAIを作っているのか。
それとも、
AIを受け入れる形へ、
僕たち自身が作り替わっているのか。
今はまだ、半AIの時代なのかもしれない。
赤ちゃん産まれた時に
オギャーという鳴き声が
AIに翻訳変換されたら嫌だなー。。。2話に続く
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司
