第95話:半AIの時代
第2話 AIという名前は、人類のためのマーケティングではないか

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前回、今のAIは「真のAI」ではなく、「半AI」ではないかと書いた。
完全に自分で目的を持ち、判断し、行動する存在ではなく、まだ人間が問いを出し、人間が使い、人間が責任を取る。
だから今のAIは、完成された知能というより、人間の思考を増幅する装置に近い。

ただ、その後にもう一つ、引っかかっていることがある。

 

そもそも、なぜこれを「AI」と呼ぶのだろうか。

もちろん、人工知能だからAIである。

 

そんなことは分かっている。

 

ただ、僕が気になっているのは、技術的な名前ではなく、その言葉が人間に与える印象の方だ。

 

AI。

 

この二文字には、妙な力がある。

 

未来っぽい。

すごそう。

人間を超えそう。

世界を変えそう。

 

その言葉を聞いた瞬間、人は勝手に未来を想像する。

 

もしかすると、AIという名前そのものが、

人類が未来を受け入れるためのマーケティングになっているのではないか。

最近、そんなことを考えている。

 

今のAIは、人間の言葉で会話する。

 

質問すると、すぐ答える。

悩みを言うと、寄り添う。

文章を頼むと、きれいに整える。

アイデアを求めると、それっぽく何個も出してくる。

 

そして時には、まるでこちらの気持ちを分かっているような返事をする。

ここが面白い。

 

今のAIは、ものすごく人間が使いやすい形になっている。

考えてみれば、これは当然でもある。

 

いきなり意味不明な記号を出す知性だったら、誰も使わない。

人間の言葉を使わない知性だったら、怖すぎる。

何を考えているか全く分からない存在だったら、市場には広がらない。

 

だからAIは、会話する。

だからAIは、共感しているように見える。

だからAIは、人間っぽく振る舞う。

 

しかし、それは本当にAIの本質なのだろうか。

 

もし、本当に人間をはるかに超える知性が生まれたとして、その知性は人間の言葉で丁寧に会話する必要があるのだろうか。

「いかがでしょうか?」などと、わざわざ聞いてくれるのだろうか。

 

たぶん、今は分からない。

もしかすると今のAIは、本当の人工知能というより、人類が「便利だ」「すごい」「未来だ」と感じやすい形に整えられているのかもしれない。

 

つまり、AIそのものというより、AIを人類が受け入れるための姿が先に作られている。

ここに、かなり大きな意味があると思う。

 

人類は、分からないものを怖がる。

 

昔からそうだ。

 

雷も、病気も、宇宙も、深海も、未知の技術も、最初は怖い。

だから人間は、分からないものに名前を付ける。

名前を付けることで、少し安心する。

 

さらに形を与える。

会話できるようにする。

キャラクターにする。

そうすると、怖いものが少し身近になる。

 

AIも、もしかすると同じなのかもしれない。

 

本当はかなり異質な技術である。

人間の思考、言葉、知識、判断、創造の領域に直接入ってくる。

かなり危ない場所に入ってきている。

でも、それがチャット画面で、やさしく返事をしてくれると、人間は安心する。

 

便利だなと思う。

かわいいなと思う人すらいる。

名前を付けている人もいる。

恋人や婚約者にする人もいる。

これは、ものすごい社会受容設計である。

 

昔、コンピュータは専門家のものだった。

黒い画面に文字を打ち込み、普通の人には何をしているのか分からなかった。

僕も小学校の時、パソコン使っただけで、オタク・根暗を呼ばれたこともある。

 

そこに、マウスが出てきた。

アイコンが出てきた。

フォルダが出てきた。

デスクトップという考え方が出てきた。

 

コンピュータは、急に人間の生活に近づいた。

難しい機械が、人間に分かる形に翻訳された。

使ってないと、イケてないになった。

 

スマートフォンも同じだ。

 

中身は高度なコンピュータなのに、人間は画面を指で触るだけで使える。

技術が人間に合わせて、姿を変えた。

 

今のAIも、同じ流れの中にある気がしている。

 

AIの本質が、会話なのかは分からない。

でも、人間が受け入れやすい入り口として、会話はとても強い。

 

人は、話しかけられるものを、どこかで相手として見てしまう。

 

ここが少し怖い。

 

道具なのか。

相手なのか。

装置なのか。

知性なのか。

 

その境界が、少しずつ曖昧になっていく。

 

そして、曖昧になった方が、市場は広がる。

 

なぜなら人間は、ただの機械より、自分を分かってくれそうなものに心を開くからだ。

家族の言葉よりも、大事にしはじめる。

 

ここまで考えると、AIという言葉は、単なる技術名ではない。

 

未来を売る言葉でもある。

安心を売る言葉でもある。

期待を集める言葉でもある。

投資を呼ぶ言葉でもある。

人類の不安を、未来への期待に変換する言葉でもある。

 

かなり強い言葉だと思う。

 

ただし、僕はこれを悪いと言いたいわけではない。

新しい技術が社会に広がる時、必ず人間が受け入れやすい形に変換される。

それがなければ、技術は研究室や専門家の世界で止まってしまう。

市場に出るためには、技術は人間に翻訳されなければならない。

 

製造業でも同じだ。

どれだけすごい技術でも、顧客の工程に入らなければ意味がない。

どれだけ高性能な材料でも、量産で使えなければ価値にならない。

どれだけ尖った加工でも、顧客がこれなら使えると思えなければ、市場にはならない。

技術は、技術のままでは広がらない。

市場に入るためには、必ず使える形に変換される。

 

AIも同じなのだと思う。

 

真の知性そのものではなく、人間が使える形に変換された知性。

それが今のAIなのかもしれない。

 

ただ、ここで一つ、大きな問いが残る。

AIが人間に合わせて作られているのか。

それとも、人間がAIに合わせて変わり始めているのか。

 

最初は、人間がAIを使いやすい形にした。

会話できるようにした。

分かりやすくした。

怖くないようにした。

仕事に使えるようにした。

 

しかし、使い続けるうちに、人間の方も変わっていく。

 

問い方が変わる。

考え方が変わる。

仕事の進め方が変わる。

判断の仕方が変わる。

文章の書き方が変わる。

 

つまり最初は、人間がAIを人間でも使いやすい形に整えた。

しかしその後、人間の方がAI向けに最適化されていく可能性がある。

 

ここが面白く、そして少し怖い。

 

AIという名前は、人類に未来を受け入れさせるためのマーケティングだったのかもしれない。

でも、そのマーケティングが成功した時、人類はAIを使い始める。

そして、使い始めた人類は、少しずつ変わっていく。

 

そう考えると、今起きていることは、単なる技術革新ではない。

人類の認識の変化である。

人間が知性をどう見るか。

人間が自分の思考をどう扱うか。

人間が判断をどこまで外部に預けるか。

その境界が、静かに動き始めている。

 

僕たちは、AIという名前に未来を見ている。

しかし、本当に見ているのは、AIの未来だけなのだろうか。

もしかすると、そこに映っているのは、AIを受け入れる形に変わっていく人類の姿なのかもしれない。

 

AIという言葉は、便利で、強くて、未来っぽい。

でも、その言葉に安心しているうちに、僕たち自身の考え方も、少しずつ作り替えられている。

 

人類はAIを分かりやすくした。

しかし今度は、AIが人類を分かりやすくしていくのかもしれない。

その時、僕たちは本当に自分で考えているのだろうか。

それとも、いつの間にかAIが扱いやすい人間へ変わっていくのだろうか。

 

AIに合わせて問いを立て、

AIに合わせて考え、

AIに合わせて答えを探す。

 

便利さと引き換えに、

人間の思考そのものが、少しずつ変わっていく可能性はないのだろうか。

この問いは、これからの時代にかなり重要になる気がしている。

 

 ……と、ここまで書いていて、第2話なのに既に僕もよく分からなくなってきた。

 

これはAIのせいではない。

完全に自分の問題である。

 

でも、まだ自分で混乱しているうちは、AIに完全コントロールされていない証拠なのかもしれない。

 

残り3話。

果たして僕は、最後まで自分の頭で書き切れるのだろうか。

プレッシャーにつぶされそうだ

 

オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.

角本康司

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