ただ、その後にもう一つ、引っかかっていることがある。
そもそも、なぜこれを「AI」と呼ぶのだろうか。
もちろん、人工知能だからAIである。
そんなことは分かっている。
ただ、僕が気になっているのは、技術的な名前ではなく、その言葉が人間に与える印象の方だ。
AI。
この二文字には、妙な力がある。
未来っぽい。
すごそう。
人間を超えそう。
世界を変えそう。
その言葉を聞いた瞬間、人は勝手に未来を想像する。
もしかすると、AIという名前そのものが、
人類が未来を受け入れるためのマーケティングになっているのではないか。
最近、そんなことを考えている。
今のAIは、人間の言葉で会話する。
質問すると、すぐ答える。
悩みを言うと、寄り添う。
文章を頼むと、きれいに整える。
アイデアを求めると、それっぽく何個も出してくる。
そして時には、まるでこちらの気持ちを分かっているような返事をする。
ここが面白い。
今のAIは、ものすごく人間が使いやすい形になっている。
考えてみれば、これは当然でもある。
いきなり意味不明な記号を出す知性だったら、誰も使わない。
人間の言葉を使わない知性だったら、怖すぎる。
何を考えているか全く分からない存在だったら、市場には広がらない。
だからAIは、会話する。
だからAIは、共感しているように見える。
だからAIは、人間っぽく振る舞う。
しかし、それは本当にAIの本質なのだろうか。
もし、本当に人間をはるかに超える知性が生まれたとして、その知性は人間の言葉で丁寧に会話する必要があるのだろうか。
「いかがでしょうか?」などと、わざわざ聞いてくれるのだろうか。
たぶん、今は分からない。
もしかすると今のAIは、本当の人工知能というより、人類が「便利だ」「すごい」「未来だ」と感じやすい形に整えられているのかもしれない。
つまり、AIそのものというより、AIを人類が受け入れるための姿が先に作られている。
ここに、かなり大きな意味があると思う。
人類は、分からないものを怖がる。
昔からそうだ。
雷も、病気も、宇宙も、深海も、未知の技術も、最初は怖い。
だから人間は、分からないものに名前を付ける。
名前を付けることで、少し安心する。
さらに形を与える。
会話できるようにする。
キャラクターにする。
そうすると、怖いものが少し身近になる。
AIも、もしかすると同じなのかもしれない。
本当はかなり異質な技術である。
人間の思考、言葉、知識、判断、創造の領域に直接入ってくる。
かなり危ない場所に入ってきている。
でも、それがチャット画面で、やさしく返事をしてくれると、人間は安心する。
便利だなと思う。
かわいいなと思う人すらいる。
名前を付けている人もいる。
恋人や婚約者にする人もいる。
これは、ものすごい社会受容設計である。
昔、コンピュータは専門家のものだった。
黒い画面に文字を打ち込み、普通の人には何をしているのか分からなかった。
僕も小学校の時、パソコン使っただけで、オタク・根暗を呼ばれたこともある。
そこに、マウスが出てきた。
アイコンが出てきた。
フォルダが出てきた。
デスクトップという考え方が出てきた。
コンピュータは、急に人間の生活に近づいた。
難しい機械が、人間に分かる形に翻訳された。
使ってないと、イケてないになった。
スマートフォンも同じだ。
中身は高度なコンピュータなのに、人間は画面を指で触るだけで使える。
技術が人間に合わせて、姿を変えた。
今のAIも、同じ流れの中にある気がしている。
AIの本質が、会話なのかは分からない。
でも、人間が受け入れやすい入り口として、会話はとても強い。
人は、話しかけられるものを、どこかで相手として見てしまう。
ここが少し怖い。
道具なのか。
相手なのか。
装置なのか。
知性なのか。
その境界が、少しずつ曖昧になっていく。
そして、曖昧になった方が、市場は広がる。
なぜなら人間は、ただの機械より、自分を分かってくれそうなものに心を開くからだ。
家族の言葉よりも、大事にしはじめる。
ここまで考えると、AIという言葉は、単なる技術名ではない。
未来を売る言葉でもある。
安心を売る言葉でもある。
期待を集める言葉でもある。
投資を呼ぶ言葉でもある。
人類の不安を、未来への期待に変換する言葉でもある。
かなり強い言葉だと思う。
ただし、僕はこれを悪いと言いたいわけではない。
新しい技術が社会に広がる時、必ず人間が受け入れやすい形に変換される。
それがなければ、技術は研究室や専門家の世界で止まってしまう。
市場に出るためには、技術は人間に翻訳されなければならない。
製造業でも同じだ。
どれだけすごい技術でも、顧客の工程に入らなければ意味がない。
どれだけ高性能な材料でも、量産で使えなければ価値にならない。
どれだけ尖った加工でも、顧客がこれなら使えると思えなければ、市場にはならない。
技術は、技術のままでは広がらない。
市場に入るためには、必ず使える形に変換される。
AIも同じなのだと思う。
真の知性そのものではなく、人間が使える形に変換された知性。
それが今のAIなのかもしれない。
ただ、ここで一つ、大きな問いが残る。
AIが人間に合わせて作られているのか。
それとも、人間がAIに合わせて変わり始めているのか。
最初は、人間がAIを使いやすい形にした。
会話できるようにした。
分かりやすくした。
怖くないようにした。
仕事に使えるようにした。
しかし、使い続けるうちに、人間の方も変わっていく。
問い方が変わる。
考え方が変わる。
仕事の進め方が変わる。
判断の仕方が変わる。
文章の書き方が変わる。
つまり最初は、人間がAIを人間でも使いやすい形に整えた。
しかしその後、人間の方がAI向けに最適化されていく可能性がある。
ここが面白く、そして少し怖い。
AIという名前は、人類に未来を受け入れさせるためのマーケティングだったのかもしれない。
でも、そのマーケティングが成功した時、人類はAIを使い始める。
そして、使い始めた人類は、少しずつ変わっていく。
そう考えると、今起きていることは、単なる技術革新ではない。
人類の認識の変化である。
人間が知性をどう見るか。
人間が自分の思考をどう扱うか。
人間が判断をどこまで外部に預けるか。
その境界が、静かに動き始めている。
僕たちは、AIという名前に未来を見ている。
しかし、本当に見ているのは、AIの未来だけなのだろうか。
もしかすると、そこに映っているのは、AIを受け入れる形に変わっていく人類の姿なのかもしれない。
AIという言葉は、便利で、強くて、未来っぽい。
でも、その言葉に安心しているうちに、僕たち自身の考え方も、少しずつ作り替えられている。
人類はAIを分かりやすくした。
しかし今度は、AIが人類を分かりやすくしていくのかもしれない。
その時、僕たちは本当に自分で考えているのだろうか。
それとも、いつの間にかAIが扱いやすい人間へ変わっていくのだろうか。
AIに合わせて問いを立て、
AIに合わせて考え、
AIに合わせて答えを探す。
便利さと引き換えに、
人間の思考そのものが、少しずつ変わっていく可能性はないのだろうか。
この問いは、これからの時代にかなり重要になる気がしている。
……と、ここまで書いていて、第2話なのに既に僕もよく分からなくなってきた。
これはAIのせいではない。
完全に自分の問題である。
でも、まだ自分で混乱しているうちは、AIに完全コントロールされていない証拠なのかもしれない。
残り3話。
果たして僕は、最後まで自分の頭で書き切れるのだろうか。
プレッシャーにつぶされそうだ
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司
