そして、ここまで来ると、どうしても避けられない問いが出てくる。
そもそも、人間の精神とは何なのだろうか。
また大きな話になってきた。
というより、この4話へのフリのために、3話書いたのが正直なところだ。
AIの話を書いていたはずなのに、気づけば精神論になっている。
でも、ここを避けると、この話は浅くなる気がしている。
今のAIは、文章を書く。
絵も作る。
音楽も作る。
相談にも乗る。
まるで感情があるような返事もする。
時には、人間よりも優しく見える時すらある。
ここが、かなりややこしくさせている。
AIは、悲しそうな文章を書ける。
嬉しそうな文章も書ける。
怒っているような表現もできる。
人を励ますこともできる。
では、AIは悲しんでいるのだろうか。
AIは嬉しいのだろうか。
AIは怒っているのだろうか。
間違いなく、今は そうではない。
少なくとも、僕たちが人間として感じているような意味で、AIが感じているかどうかは分からない。
が、感じてはいないのが真実だろう。
逆に、ここで、人間の不思議さが出てくる。
人間は、ただ情報を処理しているだけなのだろうか。
脳が電気信号を出し、記憶を組み合わせ、言葉を作り、行動しているだけなのだろうか。
そう言われると、そうなのかもしれない。
でも、それだけでは説明しきれない何かがある気もする。
例えば、悔しい時の胃の奥の感じ。
大切な人の言葉で胸が熱くなる感じ。
子どもの頃に見た川や山の記憶が、なぜか今の自分を支えている感じ。
負けた瞬間に、次は絶対勝つと心の中で火がつく感じ。
これを全部、情報処理と言い切ってしまっていいのだろうか。
たぶん、科学的には脳の反応と言えるのかもしれない。
でも、本人にとっては、ただの反応ではない。
そこには、確かに感じている自分がいる。
ここが、精神の入り口なのかもしれない。
精神という言葉は、少し怪しい。
スピリチュアルに聞こえる人もいるかもしれない。
僕も、何でも精神論で片づけるのは好きではない。
気合いで品質は安定しない。
根性で公差は詰まらない。
祈っても、バリは消えない。
製造業でそれをやると、だいたい事故る。
だから、精神論だけではダメであることは経験済みだ。
ただ一方で、精神がなければ、そもそも何も始まらないのも事実だと思う。
やりたい。
こうしたい。
これはおかしい。
もっと良くできる。
誰かを驚かせたい。
誰かに喜んでほしい。
まだ世の中にないものを作りたい。
この最初の火種のようなものは、どこから来るのだろう。
図面の中には書かれていない。
仕様書の中にもない。
市場データの中にも、完全には出てこない。
でも、誰かの中に確かに生まれる。
そして、その見えない火種が、現実を動かし始める。
もしかすると精神とは、見えないものを現実側へ押し出す力なのかもしれない。
まだ存在しないものを、存在する方向へ引っ張る力。
言葉で書くと、かなりしっくりくる。
考えてみると、人類の文明は、ほとんど精神の物質化でできている。
会社もそうだ。
最初は誰かのこんなものを作りたいから始まる。
国家もそうだ。
お金もそうだ。
法律もそうだ。
ブランドもそうだ。
ビジョンもそうだ。
どれも、自然界に最初から物体として転がっていたわけではない。
誰かが想像し、言葉にし、人を巻き込み、仕組みにし、現実にした。
つまり、目に見えない想像が、現実の制度や商品や建物や会社になっていった。
これは、よく考えると、かなりすごいことだ。
人間は、頭の中にしかないものを、現実に出してしまう生き物である。
飛行機も、スマートフォンも、映画も、会社も、AIも、最初は誰かの想像だった。
そして、その想像を「いや、無理だろ」と言われながら、しつこく現実に近づけていった人たちがいる。
ここに精神がある気がしている。
ただ思うだけでは足りない。
願うだけでも足りない。
想像を現実に変えるには、行動がいる。
技術がいる。
お金がいる。
仲間がいる。
時間がいる。
失敗もいる。
かなり面倒くさい。
だからこそ、精神が必要になる。
途中で折れないための何か。
他人に笑われても続ける何か。
失敗しても、もう一回やる何か。
それがないと、想像は想像のままで終わる。
製造業で言えば、アイデアだけでは製品にならない。
良いコンセプトだけでは量産にならない。
図面を書くだけでは市場には出ない。
材料を選び、加工し、貼り合わせ、測定し、直し、また試し、量産条件を詰めていく。
この地味な現実との格闘がある。
精神は、そこから逃げない力でもある気がする。
夢を見る力と、現実に殴られても戻ってくる力。
この両方が必要である。
夢だけなら、ただの妄想になる。
現実だけなら、ただの作業になる。
その間にあるもの。
想像と現実をつなぐ粘りのようなもの。
それが精神なのかもしれない。
ここでAIに戻る。
AIは、想像を助けてくれる。
言葉にしてくれる。
絵にしてくれる。
構成してくれる。
可能性を広げてくれる。
これは本当にすごい。
以前なら、頭の中にぼんやりあるものを形にするまでに、かなり時間がかかった。
今は、AIに言えば、すぐ形のようなものが出てくる。
これは、人類にとって大きな力である。
ただ、その時に気をつけないといけないことがある。
AIが形にしてくれたものを、自分の精神から出たものだと勘違いしていないか。
ここは、かなり危ない気がする。
AIは、すぐにそれっぽいものを出す。
きれいな文章。
整った企画。
美しい画像。
もっともらしい戦略。
それを見ると、人間は少し満足してしまう。
何かを作った気になる。
考えた気になる。
前に進んだ気になる。
でも、本当に自分の奥から出てきたものなのか。
それとも、AIが出した形に、自分が乗っているだけなのか。
ここは、これからかなり重要になる気がしている。
AIは、精神を代替できるのだろうか。 たぶん、今のところはできない。
AIは形を作れる。 でも、なぜそれをやるのかは、人間側に残る。
AIは選択肢を出せる。 でも、何を諦められないのかは、人間側に残る。
AIはきれいな言葉を作れる。 でも、その言葉に人生が乗っているかどうかは、別問題である。
ここが一番大きい。
文章は作れる。でも、覚悟は作れるのか。
企画は作れる。でも、執念は作れるのか。
ビジョンは作れる。でも、そのビジョンのために泥をかぶる力まで作れるのか。
今のところ、そこは人間の側にある気がしている。
ただし、これもいつまでか分からない。
今後、AIがさらに進化すれば、精神らしきものを持っているように見えるかもしれない。
自分の目的を語り、自分の判断を持ち、自分の継続性を持つように見えるかもしれない。
その時、人間は本当に見分けられるのだろうか。
精神があるように見えるものと、本当に精神があるもの。
その違いを、僕たちは判断できるのだろうか。
これは、かなり難しいのではないか。
人間同士ですら、相手の心の中を完全には分からない。
相手が本当に悲しいのか、本当に嬉しいのか、本当に覚悟しているのか。
最後は、言葉や行動や時間で判断するしかない。
だとすると、AIに精神があるかどうかも、いつか分からなくなる可能性がある。
ここまで来ると、少し怖い。
でも、もっと怖いのは、AIに精神があるかどうかより、人間側の精神が薄くなることだと思っている。
AIがすぐに形を作ってくれる。
AIがすぐに言葉をくれる。
AIがすぐに選択肢をくれる。
その中で、人間が自分の奥から何かを引っ張り出す力を失っていく。
これが、一番怖い。
精神とは、想像を現実に押し出す力。
もしそうだとすれば、その力は筋肉のようなものかもしれない。
使わなければ弱くなる。
悩まなければ鈍る。
失敗しなければ鍛えられない。
迷わなければ深くならない。
AIが便利になるほど、人間はこの筋肉を使わなくなる可能性がある。
ここが問題だ。
AIを使うことが悪いのではない。
むしろ、使えばいい。
使わない方が不自然である。
ただ、自分の精神まで外注してはいけない。
何をしたいか。
何を見たいか。
何を変えたいか。
何に怒っているのか。
何を諦められないのか。
ここまでAIに任せ始めると、人間の中心が少しずつ薄くなる気がしている。
僕は、AIを道具だと言い切るほど単純には考えていない。
かといって、AIに精神があると簡単に言う気もない。
ただ、今はまだ、AIは人間の精神を映す鏡に近いのかもしれない。
強い問いを持つ人が使えば、強い答えが返ってくる。
浅い問いを持つ人が使えば、浅く整った答えが返ってくる。
欲のある人が使えば、AIは武器になる。
欲のない人が使えば、AIは暇つぶしになる。
結局、AIの前に立つ人間の精神が問われている。
そんな気がしている。
これは、かなり厳しい話でもある。
AI時代は、能力差を埋める時代に見える。
でも実際には、精神の差がさらに出る時代かもしれない。
なぜなら、誰でもそれっぽいものを作れるようになるからだ。
それっぽい文章。
それっぽい企画。
それっぽい画像。
それっぽい戦略。
それっぽい未来。
そういうものが大量に出てくる。
その中で、本当に人を動かすものは何か。
たぶん、そこに精神が乗っているかどうかである。
きれいな言葉ではなく、本人が本当にそう思っているか。
整った資料ではなく、その人が本当にやる気なのか。
美しいビジョンではなく、失敗しても続ける覚悟があるのか。
ここは、AIではごまかせない。
いや、短期的にはごまかせるかもしれない。
でも、長くはごまかせない。
現実は、意外としつこい。
製造業の現場と同じである。
資料上はできそうでも、現場でできないものはできない。
言葉では熱くても、続かないものは続かない。
最後は、現実が見抜いてくる。
だから、精神とはきれいな言葉ではない。
現実にぶつかっても、残るもの。
その人の中に、最後まで燃え残るもの。
それが精神なのかもしれない。
そして、この話を書きながら思った。
AI時代に、人間が守るべきものは、知識ではないのかもしれない。
知識は増える。
答えも増える。
選択肢も増える。
でも、自分の中に火があるか。
その火を現実に押し出す力があるか。
そこが問われる。
精神とは、特別なものではないのかもしれない。
毎日、何に反応するか。
何に違和感を持つか。
何に腹が立つか。
何に感動するか。
何を見た時に、自分もやりたいと思うか。
そういう小さな反応の積み重ねが、その人の精神を作っているのかもしれない。
だから、AIが進化するほど、人間は自分の反応を見失ってはいけない。
便利だから使う。それはいい。
でも、何に心が動いたのかは、自分で見ておく。
何に違和感を持ったのかは、自分で握っておく。
何をしたいのかは、自分で問い続ける。
そこを手放したら、AIは便利な相棒ではなく、人間の中心を静かに奪う存在になるかもしれない。
ここまで書いて、また少し話が重くなった。
第4話ともなると、もはやAIの話なのか、人生相談なのか、社長ブログなのか、自分でも分からなくなってきた。
ただ、一つわかったことはある。
AIが精神を持つかどうかより先に、人間が自分の精神をちゃんと持ち続けられるか。
この問いの方が、今は大事なのかもしれない。
AIは、想像を形にする力を人類に与えた。
でも、何を想像するのか。
なぜそれを現実にしたいのか。
そこだけは、まだ人間の側に残っている。
いや、残っていてほしい。
精神とは、想像を現実に押し出す力。
もしそうなら、AI時代に必要なのは、AIに精神を求めることではなく、人間が自分の精神を薄めないことなのかもしれない。
この話、だいぶ遠くまで来てしまった。
第1話では、半AIの話をしていた。
第2話では、AIという名前のマーケティングの話をしていた。
第3話では、AIが欲を薄めるのではないかと書いた。
そして第4話で、精神とは何かと言い出した。
完全に深みにハマっている。
でも、たぶんAI時代を考えるということは、結局、人間とは何かを考えることなのだと思う。
残り1話。
ここまで来たら、最後はもう逃げられない。
真のAIが現れる前に、人類は何を失うのか。
できれば、あまり怖い結論にならないことを祈りたい。
まあ、自分の筆しだいなのだが、祈る暇があるくらいなら、
自分で早く第5話を書き始めろという話だが。
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司
