食べ放題。飲み放題。歌い放題など。
この二文字が付くだけで、何だか得をした気分になる。
若い時は、すごくワクワクした。
最近、そもそも放題って、なんやねん?と思い、ふと気になって調べてみた。
放題は、もともと「思いのまま」「好き勝手」という意味で使われていた言葉だという。
今でも「やりたい放題」「好き放題」という言葉には、その名残がある。
ちなみに、英語には「放題」という一語はない。
食べ放題は all-you-can-eat。
直訳すると、「あなたが食べられるだけ食べられる」。
自由を表現しているというより、「能力の上限」まで利用できる、という発想みたいだ。
一方、中国語では「任吃(好きなだけ食べる)」「任喝(好きなだけ飲む)」と言う。
「任」という字には、「任せる」「自由にしてよい」という意味があるらしい。
つまり、
日本語は「放つ」。
英語は「できるだけ」。
中国語は「任せる」。
同じサービスでも、言葉の切り口がまったく違うことが理解できた。
言葉を調べると、その国のものの見方まで見えてくる気がして、これは面白い。
そして、考えさせられたことだが、本当に価値があるのは、この「放題」なのだろうか。
食べ放題でも、食べ過ぎれば苦しくなる。(やせる宣言したはずなのに)
飲み放題でも、飲み過ぎれば後悔する。(世界中で何度も後悔してきた)
もし働き放題なら、いつか体を壊す。
このことから、わかったことは、自由だから幸せなのではない。
自由をどう使うかで、その価値が決まるということだ。
ドラッカーは、「自由とは責任そのものである」という趣旨の考えを残している。
そう、自由とは、好き勝手に振る舞うことではない。
自分で判断し、自分で責任を負うことだ。
ビジネスも同じだと思う。
裁量を与えることは、「何をしてもいい」という意味ではない。
自ら考え、自ら決め、その結果に責任を持つことを信じて任せるということだ。
「放題」という言葉を聞くと、ワクワクしてしまうが、
本当に豊かなのは、何でもできることではないんだな。
必要なところで立ち止まり、必要なところでやめることができる人。
自由を楽しみながら、責任も引き受けられる人。
そんな人こそ、本当の意味で「放題」を使いこなしているのかもしれない。
そして私は、これからは「放題」よりも、「適度」と「年相応」という言葉を、もう少し好きになった方がいいのかもしれない。
オーティス株式会社 OTIS Co.,Ltd.
角本康司
